対談・インタビュー

【フローレンスと障害児保育・後編】「やってみたい」を実現した歩み

ビジネス職
    マネージャー障害児・医療的ケア児家庭支援

障害児・医療的ケア児保育が迎えている「変化のとき」

フローレンスでは、2014年に開園した「障害児保育園ヘレン」から始まり9年間、障害児・医療的ケア児とそのご家族への支援を続けてきました。

本連載の前編ではフローレンスの「障害児かぞく伴走局」責任者である杉山富美子が、障害児に「保育」を届ける意義について語りました。その続編となる後編は、「障害児保育園ヘレン」、「障害児訪問保育アニー」、「医療的ケアシッター ナンシー」それぞれの事業部を牽引するマネージャー3人を招いた座談会をお届けします!(スタッフの情報は2023年8月のものです)

2021年6月に可決された「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」(以下、「医療的ケア児支援法」)は、今年の9月で施行から2年を迎えます。医療的ケア児を社会で包摂していくことを目指した画期的な法律は、障害児保育を大きく前進させる力になりましたが、事業の当事者たちにとっては、大きな変化や新たな課題をもたらすきっかけにもなりました。医療的ケア児支援法施行後の世界を経験しその変化の中の当事者として現場を見つめ、常に次なる課題を探ってきた3人が考えたこと、新たに挑戦する取り組みについて、じっくりと語り合いました。

障害児保育園ヘレン

障害児を専門で長時間保育し、保護者の就労支援も行う、日本初の障害児保育園。2014年に荻窪に開園し、現在経堂、東雲、初台、中村橋の5園を運営中。

障害児訪問保育アニー

ヘレン同様、障害児家庭の就労支援を目的に、保育スタッフがご自宅に訪問して1対1の保育を実施。保育中は研修を受けた保育スタッフが医療的ケアも担当。看護師による定期的な訪問も並行して行い、障害児の健康管理サポートを行う。

医療的ケアシッター ナンシー

障害児・医療的ケア児家庭に、看護師が訪問し、医療的ケアと遊びや発達支援を行う事業。訪問看護に比べ、訪問時間が3時間程度と長いことが特長。自宅以外にも、特別支援学校の通学支援などを行う。

橋本吉央(はしもと・よしちか)

橋本吉央(はしもと・よしちか)

障害児保育園ヘレン事業部マネージャー。前職では金融系のシステムエンジニアとして活躍するも、第一子の出産後長時間労働で子育てに関われない環境を変えるため、「誰もが子育てを楽しめる社会をめざしたい」と志し、2015年にフローレンスへ入社。2022年4月に現職に着任。ヘレンの運営とともに、障害児保育のノウハウの社会への伝播や政策提言を推進する。

太田麗子(おおた・れいこ)

太田麗子(おおた・れいこ)

障害児訪問保育アニー事業部マネージャー。化粧品のマーケティング職等を経て、専業主婦に。その後、偶然目にした障害児保育園ヘレンのビジョンに共鳴し、2017年にフローレンスへ入社。ヘレン保育スタッフや新規事業立ち上げ等、フローレンスの中でもさまざまなポジションを経験し、2022年に現職に着任。アニーの運営ともに、保護者とスタッフとの障害児共同子育てを推進する。

藤井優美(ふじい・ゆみ)

藤井優美(ふじい・ゆみ)

医療的ケアシッター ナンシー事業部マネージャー。幼児・小学生向けの教育系サービス業時代に、「自分の働く時間を、より良い社会のため・子育て家庭のために使いたい」と思い、2020年にフローレンスへ入社。2022年に現職に着任。ナンシーの運営とともに、より良い制度設計や地域間格差のある課題解決のための政策提言に携わる。

大切に守ってきた思い、積み重ねてきた知恵がある

橋本

前編「私たちは障害児・医療的ケア児に保育を届け続ける理由」でも語られていたことですが、「障害児保育園ヘレン」は、保護者の就労支援を目的に障害のあるお子さんを専門に長時間お預かりする、という意味では日本初の保育園でした。それまでは社会に受け入れの場が極端に少なかった。フローレンスがこの問題を「障害児保育問題」と名付けて社会に発信したことが、障害児保育のソーシャルアクションのはじまりでした。

太田

ヘレンやアニーは、既存の障害福祉や保育の制度を駆使して、どうにか障害のあるお子さんが保育を受けられるようにしてきたわけですけれど、理想を言えば、すべての障害児・医療的ケア児受け入れの場があたりまえに社会的インフラの中にある。そこでみんなが包摂されながら生きていく、というのが、目指す社会なんですよね。

「医療的ケアシッター ナンシー」の訪問の様子。
「医療的ケアシッター ナンシー」の訪問の様子。
藤井

ナンシーは、ヘレンで働く看護スタッフが、「地域の中に活躍できる場所がもっとあるのではないか」というニーズ調査が、誕生のきっかけになっています。当事者の方にヒアリングをする中で、医療的ケア児の子育ては片時も気の休まる時間がない・親の付き添いなしで学校に行けないなどの課題が見えてきました。それ以来、ご家庭によって千差万別の課題に伴走できる事業スタイルを目指してきました。事業のミッションは「障害児家庭の新しいあたりまえをつくる」で、障害の有無に関わらず、子どももご家族も「どんなことにも挑戦できる」状況を表現しています。やりたいことがあったら挑戦してほしいし、挑戦したい気持ちをためらわずに口に出してほしい。私たちが一緒にやるから」という思いを込めています。

太田

そうですね。「どんなことにも挑戦できる」と信じられることが、お子さんが社会に出たときにしっかり周りを頼れる、自立できる、楽しめることにつながっていくんです。ヘレンやナンシーやアニーで過ごす時間が、そんな基礎力を培う時間になってくれたらと思います。

橋本

運営について言えば、同じ現場の中で保育・看護・療育という、それぞれの専門分野のある人たちが集まって保育をしているので、どんなふうにその専門性を束ねていくかという部分はかなり試行錯誤がありました。ことあるごとにお互い話す機会をつくってもらって、それぞれの職種の文脈をすり合わせながら進んだ9年間だったと思います。

太田

異職種連携の難しさはアニーも同じですね例えば保育目線では、お子さんが失敗しても、「その先の成長につながる」という観点で接するケースがあったとします。それが看護目線では、安全を優先させるために失敗をさせたくないと考えたりするわけです。だから場面ごとに、この場合は安全を優先するとか、このお子さんは特にこの場面で気をつけるなど、実地で保育計画を立てて実践してきた。それは大きな財産ですね。あとご家庭が使える制度が存在しているのに、その制度を自治体が知らないということもたくさん経験しました。私たち障害児保育事業者は障害児とその家族のことをずっと考えているわけですが、自治体にとってはマイナーなケースになってしまっているので、障害者保育という分野にどれくらいニーズがあるのかも示して、制度の必要性を理解してもらうのには根気が必要でした。

藤井

私たちがやってきたことは、前例がないことが多かったので、悩んでも相談先がなかなかなかったんですよね。そんなときに踏ん張りがきいたのは、やはり利用者の方からの期待に応えたい、という気持ちでした。そして何より、もともとは医師や複数の看護師と働いていた環境から、一人で家庭に訪問し、「長時間お子さんをお預かりします。ご家族は自由に過ごしてください」という事業に共感してくれた看護師たちの存在は大きかったと感謝しています。

太田

利用者さんの存在も大きかったですよね。まだ実績のない事業にご自身のお子さんを預けてくださって、共に試行錯誤してくださった。利用者さんでありながら、課題に共に取り組む「クルー」になってくれた。それが困難を打開していく上でもっとも重要だったかもしれません。

保育スタッフ同士でアイディアを出し合って活動内容を決めていきます(写真はアニー保育スタッフのミーティング)。
保育スタッフ同士でアイディアを出し合って活動内容を決めていきます(写真はアニー保育スタッフのミーティング)。

新しい勇気と新しい課題が交錯する。過渡期とはそういうもの

橋本

特にここ2年は、フローレンスが関連団体とともに政策提言して実現させた「医療的ケア児支援法」の影響で障害児福祉の現場にも大変革が起きました。医療的ケア児を社会で包摂していくことが「責務」とされたので、障害や医療的ケアが比較的軽いお子さんの多くは、第一の選択肢が「認可保育園」へとシフトしていきました。ヘレンの利用希望者の状況も大きく変わったのを肌身に感じました。

太田

理想は「社会インフラの中にすべての障害児が包摂されていくこと」と、ずっと思っていましたし、自分たちがいつかは役目を終えていくことを想像していたアニーチームも、その想像を上回るスピードに驚きました。今までは認可保育園で預かれる医療的ケアの範囲は、「夜間の酸素吸入のみ」といった、日中は健常児と生活が変わらないお子さんでした。でも今では、常時チューブを身体に付けている経管栄養のお子さんでも受け入れが始まっている。アニーでお預かりしていたお子さんは、どんどん認可保育園に通えるようになってきています。方で症状の重いお子さんの受け皿がなかなか拡張しないことには問題意識を持っています。

藤井

ナンシーは、この2年で保護者の就労目的のお預かりが急増している状況です。保護者の就労を目標に掲げたヘレンやアニーとは違う形態の事業ですが、この変化には驚いています。

橋本

就労目的でのお預かりが増えているというのは、どのくらい?

藤井

利用者の半数近くに及んでいます。ナンシーは比較的重度の医療的ケアのあるお子さんが多いのですが、そういったご家庭にあっても、親御さんが働くことがあたりまえになりつつあることを示す、重要な数字ですよね。「子どもに障害があるのに親が働くのはおかしい」とか「子どものケアは親がすべき」という声を聞いたことがありますが、少しずつ変化が起きていることを実感しています。

太田

ナンシースタート時は、就労目的のお預かりはゼロに近かったです!社会の価値観も、少しずつ変わってきていると思うと希望が持てますよね。

藤井

医療的ケア児支援法の流れで言えば、自治体からの相談内容の幅がここ最近でぐっと広がってきた印象があります。以前はご家族がケアから離れられず、外出や休息が全然できていないので訪問して欲しいという相談が多かったのですが、最近は例えば、「公立小学校に通うお子さんの導尿ケアをお願いできないか」とか。導尿という医療的ケアは、例えば10時と13時に10分ずつ、というふうにピンポイントに決まっているんです。お母さんがこの時間に合わせて毎日学校に通っているお宅があったのですが、お子さんが高学年になりその生活を続けることはさすがに限界だという問題意識を、自治体が持ってくれました。こういった個別の相談は法律の存在が後押ししているように感じています。

橋本

ただ自治体の方と話していても、すべての受け入れがうまくいっているかというと、まだ悩みを抱えている部分は多いみたいですね。「保育園でできる医療的ケアは現時点ではここまで」といった形で制限して、現場の過度な負担を防いでいる自治体もあります。また、健常児がほとんどで、1~2名の医療的ケア児を預かるような場合に、集団保育のあり方のベストを探るというのは、やっぱり時間がかかります。認可保育園が医療的ケア児を預かるためのノウハウを必要としているという現実も見えてきました。

太田

そうした大きな変革期ではあるものの、一方で変わらず必要としていただけるアニーの価値を再発見したこともありました。アニーの保育スタイルは訪問型なので医療的ケア児の日々のくらしの中に入っていくんですね。その中でよく保護者から聞くのは、お子さんが生まれて障害があることがわかったときに「いろんなことを諦めた」という話です。この子が大きくなったら一緒に買い物にいこうとか、反抗期になったら口応えされるんだろうなとか、お子さんがうまれる前に思い描いていた未来予想図みたいなものが、自分たちには訪れないんだな、と思ったりすると。

藤井

そういったお話は、伺うたびに胸が締めつけられる思いがしますよね。

太田

そうなんです。保護者にとってみれば、何年経っても揺れ動く気持ちがあるのは当然のこと。決して平坦ではない日々に保育スタッフがすぐ隣で伴走していく、暮らしの中に共にいて、ふと不安を口にできる。その関係性を得たことが、就労継続と同じくらいの価値があったという言葉を、何度もいただきました。それが医療的ケア児とアニーを取り巻く環境が激変する中で見つめ直せた事業の意義でした。その上で今後アニーが取り組むべき新しい方向性を探っていったところがあります。

藤井

個別のご家庭に伴走したいと思えば思うほど、やりたいことや力になりたいと感じる場面は増えてきますよね。課題があれば、公立小学校や特別支援学校への通学支援など、ご自宅以外に訪問して支援することもあります。そういった機会を通じて、それぞれのご家庭が、「自分たちも声を上げていいんだ」と思ってもらうことが重要だと思っています。「親の私が送迎すればこの子が学校に行けるんだから、そうしよう」ではなくて「誰かと一緒に解決できるなら助けを求めていいんだ」と思ってもらいたい。そう思える人がもっと増えてくれたらいいと思います。

ノウハウを伝えながら、新しい挑戦の種も育てていく

橋本

変化の2年を経て、ヘレンは障害の重いお子さんのお預かりを増やしていく過程にあります。例えば常時呼吸器を使っているお子さんなどですね。その方向性がひとつ。そしてもうひとつは医療的ケア、障害のあるお子さんを集団保育の中で受け入れてきたノウハウを外に向けて広めていく活動、この2点を進めていきます。

藤井

前編でもお話した「みんなで医ケア児受け入れ隊!」の活動ですよね。コロナ禍では、視察・研修を受け入れることは難しかったのですが、今後はそのぶんスピードアップして進めたいです。

橋本

ヘレンには、先日韓国からの視察団が来てくれました。海外の方にも知られているのはとても嬉しいことです。国内だと、今のところ研修の依頼は、自治体からの依頼がほとんどです。看護スーパーバイザーや園長が出張していって、医療的ケア児と一緒の集団保育について講義をしたり、医療的ケア児を預かっている認可保育園に伺って、職員の方からの相談に答えたりしています。一昨年からは看護学校の学生実習生の受け入れも進めています。看護を学ぶ学生さんたちですが、保育の現場で日々どんなことが起こるのか、看護師がどのように活躍しているのかを学んでもらっています。今後は保育士を目指す方にも研修機会を提供したいと話しています。こちらから出ていく研修と、来ていただく実習と、双方向でノウハウを広めていきたいですね。

太田

アニーの訪問保育は、基本は保育スタッフが担っているので、法律上対応できない医療的ケアがあります。でもそれだと、今なお認可保育園に入園が叶わない重度の医療的ケアのあるお子さんをお預かりすることはできないんですよね。そこで今、アニーでは、保護者とタッグを組み、『共同保育』という形でのお預かりをトライアルしています。保育スタッフができないケアは保護者にお願いすることで、今までだったらお預かりできなかった医療的ケア、例えば、人工呼吸器が必要なお子さんもお預かりすることができるわけなんです。親御さんと保育者がバディとなって子育てをする、そんな挑戦です。

藤井

ナンシーでは、先程もお話した、公立小での医療的ケアサポートや、特別支援学校への付き添い通学支援で、活動の幅と場所を広げています。通学支援では、ご両親の付き添いがなければ通学が難しい場合に、お子さんと一緒にナンシーの看護師が登下校をしています。

橋本

横浜の特別支援学校の登下校支援も始まっていますしね。

横浜市での通学支援の様子。
横浜市での通学支援の様子。
藤井

はい。2021年12月から、横浜市との協働で始まりました。特別支援学校に通うお子さんを対象に、市が登下校用の車と運転手を手配して、ナンシーの看護師がお子さんと一緒に車に乗って、移動中のケアを担いながら通学します。私たちは車は持たず、看護師だけがうかがっていますが、そのような形式は横浜市では初めての事例だそうです。前例とは違ったとしても少しの工夫をすることで、支援するバリエーションを増やすことができると感じています。成功例はどんどん参考にして拡散していけば、解決できることも増えるので、事業者が現場で着想したことを、実践していくことは大切ですよね。

橋本

支援のバリエーションを広げる意味では、自治体職員の方にお子さんのことをしっかり知っていただくことが大事だと思っています。ヘレンにもぜひ来ていただきたいです。園のなかでお子さんたちが1日をどのように過ごしているのかを見ると、「こんな傾向があるなら認可園が向いているかもしれない、あるいは今後はヘレンの方がこんな発達が促される」などのイメージが共有でき、お子さんのこれからについてのより建設的なコミュニケーションができるようになります。それはたくさんの家庭にとって希望になると思いますし、そんな機会を積極的に作っていきたいですね!

太田

私が「みんなで医ケア児受け入れ隊!」のノウハウとして広げたいのは、子どもを見て、「できる/できない」で区別せずに、可能性を常に開いて関わるということです。その子が「やってみたい」気持ちを叶えるには、実は「環境」がカギを握っているんですよ。

橋本

子どもを預かる側、受け入れる側の要因は本当に大きい!

太田

そうなんです!例えば手足を動かすのが難しいお子さんがいます。周りの子がコップからお茶を飲んでいても、コップが持てない。そこで「持てないのね」じゃなくて、「どうすればみんなと同じように飲めるかな?」と考えることが大切です。もしかしてコップの取っ手に大きな輪っかをつけて、手を通せば、コップを手にして飲むことができるかもしれない。環境によって子どもの可能性を伸ばしていくにはどんなアプローチが存在するのか、そのノウハウが私たちの現場では山ほど蓄積されているんですね。それが認可保育園の方にも共有されていけば、もっと多くの園でお子さんの可能性を広げる保育に役立ててもらえそうだなと思っています。

藤井

今後という話でいくと、事業者の立場からソーシャルアクションはぜひ続けていきたいです。多くの支援団体の人たちが必要だと訴えているのは「移行期の支援」なんですね。退院して在宅での生活になるまでとか、保育園から就学するまでの移行期に、突然制度が変わったり環境が変わったりして支援が受けられなくなる、ということが起きています。この支援を手厚くするための声を上げ続けたい。

橋本

「移行期問題」は至るところで感じますね。この問題も私たちが立ち向かうべき仕事だと思います。医療的ケア児本人だけじゃなくて、例えばきょうだい児が進学した、とか親の異動によって在宅勤務が減ったなど、家庭内ではよく起こる小さな変化でも、支援体制の総入れ替えが必要になるケースもあります。そういったご家庭の負担を見てきた身からすると、移行期支援にはちゃんと課題として名前をつけて、共に声を上げられる人たちと手を携えて制度変更を訴えていきたいです。

太田

そして障害や医療的ケアの有無に関わらず、「子育ては親だけが担うものじゃない」ということは言い続けたいですね。特に障害児の保護者は、負担が重い状態がずっと続いています。よく聞く言葉が「私が絶対に先に死ねない」という言葉なんですよね。そういう風に考えなくても、生まれたら歓迎され、祝福され、安心して生きていけるということをあたりまえにしたい。これは何度でも立ち返りたい、私たちの大事な指針です。

「こうすればできる!」は、親子の希望の種になる

障害の有無にかかわらず、子どもたちの「できる/できない」を親や第三者が決めつけて、諦めてしまうこと、よくありますよね。障害児保育を始めたばかりのフローレンスも最初はきっとそうだったかもしれません。

そこで価値を発揮したのが、保育の視点です。「こうすれば次の成長につながる」。そんな視点で日々の生活を見守ることで、子どもたちの「やってみたい!」、保護者の「そんなことができたんだ!」を叶えてきました。

ちょっと手前味噌?いえ、でも。

この9年はそんな知恵が積もった宝の山なのです。この3人のように、希望をもった、明るく楽しい山です。この宝を多くの人と分け合うことで、課題解決の総力を何倍にもパワーアップさせていきたい。

フローレンスの障害児局は、そんな希望に向かって、10年目へ進んでいます。

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