杉山富美子(すぎやま・ふみこ)
フローレンス理事・執行役員。病児保育・障害児保育事業と経理財務・法務部門の責任者を務める。前職では消費財メーカーでマーケティング部門を担当。「せっかく仕事をするならより社会にとって意味のあることをしたい」と志し、2015年にそれまで寄付者として支えていたフローレンスへ転籍。以来「あらゆる親子のピンチに駆けつけるフローレンス」を目指して奔走中。
日本初(※1)の障害児保育園に挑戦し、歩み続けた9年間
フローレンスでは2004年の創業以来、「社会全体で子育てができる」しくみや文化づくりを目指して活動を続けてきました。もちろん、障害のあるお子さんや医療的ケアのあるお子さんにも等しく自由な選択肢を持てる社会が、私たちが目指す社会です。
障害児や医療的ケア児(※2)の中には外出が困難なお子さんも多数いるため、実際に会ったり、ケアの様子を見たりしたことがない方も多いかもしれません。しかし医療的ケア児の人口だけでも、日本国内で約2万人にも上ると推計されています(※3)。
フローレンスでは、孤独なケアと子育てに奮闘する障害児・医療的ケア児の保護者を支援し、就労機会を提供したい。そんな思いから2014年に日本初(※1)の「障害児保育園ヘレン」を開園。現在はヘレンの運営とともに「障害児訪問保育アニー」、「医療的ケアシッター ナンシー」、「インクルーシブひろば ベル」という4つの事業を展開し、障害児・医ケア児家庭の支援を続けています。
開始当初は前例のない事業への挑戦ゆえ、課題の壁に当たってばかり。1つでも多くのご家庭に伴走しようと仲間や支援者とともに試行錯誤を続けてきました。日本の医療的ケア児家庭を取り巻く環境が変化し始めるきっかけになったのが、2021年6月に可決された「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」(以下、「医療的ケア児支援法」)でした。
これはフローレンスが多くの仲間とともに政策提言を続け実現した法律で、「医療的ケア児」を法律上で明確に定義し、日本の歴史上初めて国や地方自治体が、「医療的ケア児の支援を行う責務」を負うことが明文化されました。
この法律の施行から今年で2年。現在は認可保育園でも医療的ケア児の受け入れが進みつつあります。大きな転換期を迎える今、フローレンスで障害児支援を行う「障害児かぞく伴走局」(以下、障害児局)はどんなことを考え、行動し、夢見ているのか。前後編の2回にわたってお届けいたします。
前編はフローレンス経営陣のなかでも特に熱いハートを持つ障害児局の責任者・杉山富美子が語ります。
※1 障害児を専門に長時間お預かりするという形態での保育施設として
※2 日常的にたんの吸引(口、鼻や気管切開から)や経管栄養(鼻からのチューブや胃ろう)、酸素療法、人工呼吸器使用などの医療的ケアが必要な子ども
※3 厚生労働省調べ「医療的ケア児支援センター等の状況について」 令和4年度 医療的ケア児の地域支援体制構築に係る担当者合同会議
事業の立ち上げ!「変わるべきは自分たち」の輪が拡大していった
障害児のための保育園(ヘレン)を立ち上げたきっかけはどんなことでしたか?
「障害児保育園ヘレン」の立ち上げは2014年。当時フローレンスが掲げていたビジョンは、第一次創業期のもので、「子育てと仕事、そして自己実現のすべてに誰もが挑戦できる、しなやかで躍動的な社会」でした。私はこのビジョンが大好きで、今でもそらで言えます(笑)。まさにこのビジョンのもと、子どもに障害があることで、保護者が仕事や自己実現に選択肢が持てない社会構造を変えなければ!という思いで保育園をつくることになりました。
ヘレンの立ち上げ以前は長時間障害児をお預かりする受け皿はほとんどなくて、障害児家庭にとっての大きな悩みのひとつは、就労の選択肢がないことだったんです。
保護者の就労支援であれば、保護者の就業時間に合わせてお子さんを預かれる保育園でなければ、意味がないですよね。
そうなんです。子どもが保護者と離れて1日を過ごせること。そして大事なのが、「それがあたりまえに選べる」ということですよね。当時そんなメッセージを強く出していた施設やサービスはあまりなかったんです。そもそも健常児の命をおあずかりすることだって大変なのに、固有のケアや専門知識を求められる障害児・医療的ケア児の保育なんて「できるわけがない」という声も多くいただいていました。でもフローレンスは昔から、「最初からできないと思わない!」と本気で思い込んでいることが強みの団体だったんです(笑)。
前例のないこと、専門知識が必要なこと、人の命に関わること。困難だらけだったのでは……?
はい!正直、難しいことしかなかったんです。当時の保育や福祉の制度では、とても障害児、医療的ケア児を長時間お預かりするような報酬システムにもなっていないし、施設をつくるにも基準すらありません。何とか事業を成立させるためにあらゆる制度を組み合わせて実現にこぎ着けました。
これは声を大にして言いたいのですが「フローレンスだけでは絶対に実現不可能だった」という事実です。例えば当時ヘレンを初めて立ち上げた自治体の保育課課長が「子どもたちのために必要な居場所をつくりたい」という思いを共有してくださったことが大きな力になりました。受け入れる地域の側からも求められない施設なら、前例のないものをつくることなんて不可能だったと思います。地域や行政に仲間が見つかって、何人かの方がカウンターパートナーになってくれました。
政治家の方も視察にきてくださったそうですね。
はい。そこで皆さん「大変な子たちがいるんですね」と線を引くんじゃなくて、「この子たちの居場所がつくれるように、私たちが変わっていかなくちゃいけない」と言ってくださった。思いを持って動くと、思いに向かって人が集まって束になる。そうなると本当に大きな山が動いていく。それを実感する出来事でしたね。
でも私たちが事業をやっていなかったら、その山は動かせなかったと思うんです。「こういうのあったらいいな」ではダメなんですよね。「とにかくここまでやってみたんです」という事実が、ものごとが進んでいくプロセスではすごく大事なんだなって、学びました。
ケアの先にあったのは子どもを「育む」という視点
2014年にヘレンが開園。15年にアニー、19年にナンシー。施設型・訪問型を問わず障害児保育・家庭支援事業を拡大してきました。やってみてどんなことが分かりましたか?
保護者の就労支援をしたいと思って始めた事業でしたが、やってみてわかったことはまた別だったんです。それが「子どもたち自身の変化」でした。
障害児・医ケア児の多くは生まれてから就学までの一定期間、子どもと保護者が中心の世界に生きています。健常児は外へ出ていくこと、他者との関係性を取ることが比較的容易だし、仲間もつくりやすい場合が多いですよね。
一方で障害児や医療的ケア児だとまず、他者との交流そのものが難しいし、お子さんが親と離れたところで親以外の人と会うことはおろか、「関係性を育む」機会を得ることは以前はなかなか難しかった。でもお子さんが社会とつながっていく力を養うには、親と離れたところで『子ども×赤の他人』でゼロから関係性を育むことが大きなきっかけになるんですね。保育園では、ひとりひとりのお子さん固有の個性と可能性を、親以外の人が加わって見つけていくこと、広げていくことができたんです。それがお子さんにとっても価値があるし、保護者の方々から就労以上の価値があったということを何度も言っていただきました。
それは長い時間、日々の生活を他者と共にする保育園だからこそできたことですよね。
日本においては長い間、特に母親が、子どもの成長のひとつひとつを「私だけが請け負っている」と思ってしまいがちだったと思います。社会とつながりにくい障害児家庭であればなおさらです。しかしこれは本来、子育てをする上では過度に負担の大きい構図なのです。でも保育園があれば、自分以外の誰かが、自分の子どもについて生活のすみずみまで知ってくれている、大切に思ってくれていると信じられるんです。保育の場はその信頼をベースに、お子さんが他人や社会との接点を見つける可能性を秘めていることに、改めて気付かされました。
「保育を受けるまで、自分の子どもをかわいいと思えなかった」と言われた保護者もいらっしゃいました。というのも、生まれてから学童期に至るまで、日々子どもの生命のケアに精一杯で、子どもとの関係を育むフェーズにいきたくても、それまでに終わらせなくてはいけないケアだけで1日が終わってしまう方がほとんどなんです。そんなご家庭が保育を受けて、同じケアを同じように共有してくれる他者が入ったことで、「家族以外にもこの子を愛してくれる人がいる」ということを信じられたのだと。それで初めて自分にも「かわいい」と言う力がわいてきた、と話してくれました。
ー昨年、障害児・者支援団体とともに開催した重度障害児・者のeスポーツ全国大会『アイ♡スポ』(※)もまさに子どもたちの可能性が開かれていく大会でしたよね?
そうですね。身体を動かすことが難しい人にとっては、ゲームを楽しむことや、誰かと競う機会そのものに出会いにくいんです。しかしテクノロジーを通して他者と交わることで、その人の存在と同時に新しい可能性が社会に対して開けるようになったわけです。障害児・医療的ケア児の事業を続けていると、どうしても「弱者と支援者」という構図に陥りがちになるのですが、こういう新しいチャレンジが進んでいけば、その価値観すら転換していく、そんな鮮やかな世界が見せられるのではないかとワクワクしています!
※重度障害児・者のeスポーツ全国大会『アイ♡スポ』:フローレンスの保育サービスを利用している重度障害児を含む、多くの選手が全国から参加し、視線をパソコンのマウスのように使う「視線入力」等の技術を使って、ゲームで競う大会。
法律によって障害児保育の何が変わったのか?
「医療的ケア児支援法」が成立してから2年が経ちました。この法律によって、具体的に現場ではどんな変化がありましたか?
法律によって医療的ケア児の支援が国・自治体の「責務」になったのは大きなポイントでしたね。現状都内の認可保育園では、医療的ケア児から先行して、急ピッチで受け入れが進んでいます。フローレンスの障害児局では今年6月、独自に認可保育園での医療的ケア児受け入れの実態を調査したいと思って、東京都23区の自治体に電話での聞き取り調査を行いました。それによれば、都内の保育園では約40園で受け入れ実績があることが分かりました。
さらに調査前は「受け入れを始めた園ではそれだけで精一杯で、次年度の新規受け入れは難しいのでは?」と危惧していたんです。それをあわせてヒアリングしてみたら来年も受け入れる」という回答が多かったことには希望を持ちました。
責務化されたことで「~になったらいいな」だったものが、明らかに現場でも「~ねばならぬ」という空気感に変わりました。でも実際に受け入れていく自治体や保育園職員の話を聞くと、健常児の中でどうやって障害児・医療的ケア児を受け入れていくか、現場の人たちがどう対応し、どう変わっていくかはまだまだ場の成熟が必要な課題だと思います。
たった2年ですべて問題なく、というのは難しいですよね。
私たちも本当に試行錯誤の歴史をたどってきました……。さまざまな特性と個性をもつお子さんたちを保育の場でみることの大変さは確実にあります。責務化されたのはいいことですが、実践する現場の負担が重くならないように、どういう支援が必要か、どれだけの人員が必要か、最終的には予算をどのように見直すかという試行錯誤が今まさに現場で起きていますし、この試行錯誤はしばらく続くことは予想されますね。
フローレンスの障害児保育は今、「還元」のときを迎えています
フローレンスはその試行錯誤を9年続けてきました。ノウハウという面ではお役に立てることもあるかもしれませんね。
はい、まさに!これまでは私たちも自分たちの事業に精一杯でした。でも認可保育園での受け入れが始まって以降、フローレンスが取り組み始めているのは、私たちの試行錯誤を社会に還元する活動なんです。障害児・医療的ケア児の受け入れのノウハウや、インクルーシブな保育の場をどうやってつくるのかをサポートしています。「みんなで医ケア児受け入れ隊!」というサイトを通して、研修を必要とする自治体や園にこの活動をお伝えしています。
具体的にはどういう研修なんですか?
座学もあります。お子さんそれぞれのケアの方法をお伝えすることもあります。でも実際に研修を始めてみて一番ニーズがあったのは、「どうやって障害児・医療的ケア児を包摂しながら、保育を行うのか」が、今求められているノウハウだったんです。障害・ケアの有無に関わらず、さまざまな個性を持つお子さんが一箇所に集まる、その場合の保育計画・実践を一緒にやってみる、という内容が喜ばれています。
ヘレンの園長やフローレンスの保育や看護スーパーバイザーなど経験を積んだスタッフが保育園に出張していくことも行っています。集団の保育の中でひとりひとりに良い保育の考え方を判断していくのは経験があっても本当に難しいこと。状況に応じた意見を求められるので、やはり『一緒に』という要素は大切なんですね。
どんな現場から要請があるんですか?
自治体の保育課が一番多いですね。これも医療的ケア児支援法の施行がきっかけになって、国の制度として研修に対する予算がつくようになりました。事業を展開している自治体に、フローレンスでは積極的に研修も受け入れますと告知をしています。実績で言うと渋谷区では2020年からすでにスタートしていて、今後も複数の区の保育課からの要請をいただいていますので、研修にうかがう予定です。
障害児・医ケア児の保育を続けることは、どんな未来につながると考えていますか?
フローレンスの事業はすべてそうなのですが、自分たちが事業運営の当事者であることはすべての基本です。事業の中から得た課題やノウハウを、制度や文化にするために訴えていくという姿勢はこれからも変わりません。
当面私たちは、現状の制度や文化から取り残されてしまう親子に支援を向けていくこと。もうひとつ大事なのは、「一体誰が取り残されているのか、なぜなのか、どうしたら取り残されないのか」を明らかにして、それに対して政策提言をしていくことだと考えています。
ちょうど来年度から「こども誰でも通園制度」が始まりますね。親の就労にかかわらず、どんなこどもでも保育園に通えるという制度です。この制度は保育を受けたいと思うすべての家庭に均等に機会が提供されることを意味しています。就労による区別がなくなった点は本当に大きい。これと同じ感覚で障害による区別なく、「認可保育園という地域のインフラの中に、希望する誰もがあたりまえに存在できること」が、私たちが目指すべきゴールと見据えています。今こそ、「できないと思わない!」が強みの、私たちの出番だなって感じですね!
まずは私たちがやる、それをみんなで文化にしていく
フローレンスが障害児保育に取り組んで9年が過ぎました。杉山が語るように、この9年間は事業者として試行錯誤の連続でした。しかし、利用者の方が、支援してくださる皆さんが、自治体の協力者たちが、私たちの試行錯誤を見守ってくださった。
今こうして「みんなで医ケア児受け入れ隊」の活動ができるところまで進めたのは、私たちに「進もう」と言ってくださった多くの声のおかげです。私たちはその声に報いるよう、この活動を通してノウハウを社会に還元していきます。
「子どもは社会で育てよう」。その約束を果たすために。
後編では、「障害児保育園ヘレン」、「障害児訪問保育アニー」、「医療的ケアシッター ナンシー」それぞれの責任者が新しい挑戦を語ります!お楽しみに!