対談・インタビュー

公務員から障害児保育に挑戦

対人支援職(保育スタッフ)
    中途入社障害児・医療的ケア児家庭支援
坂井 桃子

坂井 桃子

障害児保育園ヘレン 保育スタッフ。前職は公立の特別支援学校で低学年の担任として勤務。転職した理由や、ヘレンでのやりがいについて聞いてみました。

『こどもが100人いれば、100通りのかかわり方がある』

これは保育に関わる仕事の醍醐味のひとつですよね。

保育現場で既に活躍されている皆さんの中には、一人ひとりのこどもたちに寄り添い、小さな成長が自分のことのように嬉しく感じられる時「保育士でよかった!」とやりがいを感じる方も多いでしょう。保育を志す学生さんであれば「こんな保育がしたいな」という理想の保育に近いかもしれませんね。

一昨年12月、世田谷区に「障害児保育園ヘレン経堂」が新規開園するタイミングでヘレン保育スタッフとして入社した坂井桃子(25)。彼女もそうした想いから障害児保育の現場に飛び込んだひとりです。

障害児保育事業を2014年にスタートしたフローレンス。重度の障害があったり日中医療的なケアが必要となる子ども達を長時間お預かりする日本初の試みが「障害児保育園ヘレン」「障害児訪問保育アニー」です。

公務員の教員から、道なき道をつくる保育現場に転職したのはなぜでしょう?彼女が感じるやりがいとは?

「もも先生」こと坂井桃子のインタビューをお届けします。

(聞き手:フローレンス広報)

もも先生、ほんわかした雰囲気に見えますが、ハートは激アツです!
もも先生、ほんわかした雰囲気に見えますが、ハートは激アツです!

もも先生は、もともとは学校の教員だったんですよね。

はい。公立の特別支援学校で低学年の担任をしていました。

安定の公務員から!どうしてそこを退職して障害児保育園ヘレン経堂のオープニングスタッフに応募したんですか。

特別支援学校に勤めて、初めて知ったことがあるんです。それは、障害のある子のほとんどが特別支援学校に就学する前は「家庭」のみで過ごしているということ。

保育園や幼稚園といった一般の子どもが当然経験している就学前の集団生活経験のある子はおらず、とりわけ保育園から就学してきた重症心身障害児は非常に少ないという現状を知りました。

特別支援学校では、小学生から高校生のこどもへの支援や療育・教育が整備されている一方、障害のある乳幼児への支援はまだまだ不十分なのではないかなと感じるようになったんです。

産まれてから6年間ずっと同じ人と同じ環境で過ごす、ということは親にとってもこどもにとっても、ベストではなさそうですね。

こどもは、発達の上でも人間性のベースを作る上でも乳幼児期はとても大事な時期です。

その時期に親以外の大人や、お友達と関わる機会が極端に少ないとしたら、それを変えたいと思うようになりました。

そんな時に出会ったのが、障害児保育園ヘレンの新規開園の情報でした。

なんとかしたいな、と思っていたら「障害児保育」の五文字がもも先生の目に飛び込んできた!

そうなんです!でも私は教員免許は持っていますが保育士資格は持っていません。

だけど、障害児に関わった経験を活かしながら保育の分野を学んでいきたいと思い、思いきって応募をし現在に至ります。

実際にヘレンで保育士として働くようになって、どうですか。特別支援学校とはずいぶん違いますか?

保育は初心者だからと身構えていましたが、実際はお子さんに対するスタンスは私の中ではそれほど変わりませんでした。

ただ、特別支援学校では教育課程や学習指導要領がベースにあって、その枠組のなかで子どもと関わるというイメージが強かったのですが、障害児保育はそういう決まったものがありません。スタイルも型もなく、現場のスタッフがみんなでゼロからその子にあった保育・療育をつくっていくんです。

日本中探しても、「障害児保育はこうだ」っていうマニュアルがないですもんね。

学校だと似たこどもたちをグルーピングして指導する手法がとられますが、障害児保育は一人ひとりにあわせて保育と療育を行っていると思います。

障害の種類も、14人こどもがいると全員違いますし、発達のペースもこどもたちの個性もバラバラ。だから、14人14通りの保育を、園長、保育、療育、医療の専門スタッフがみんなでチームになり、日々試行錯誤しながら行っています。

もも先生は、朝の会のお返事ひとつとっても、一人ひとりやりとりを変えていましたね。声を出すのが難しい子には手を触って「どっちの手でお返事する?」と聞いたり、「5月は何色のカードだったかな?」と色の感覚を刺激したり。雨の日を表現するために青いビニール傘と霧吹きを用意して、こども達にシュッシュッと霧を吹きかけてました。

五感を楽しませるアプローチ、さすがプロだなと思いました!

そうですね、一人ひとりサインも違うので、個別性を大切にしています。一人ひとりなにが課題かを見るようにして。でも試行錯誤の連続ですね。

何歳だからここまでできていなきゃ、というのが障害児はありません。枠にはめずに純粋に一人ひとりの成長を見守り、その成長の瞬間に立ちあっていけるのが、何よりも魅力です。

一方で、難しさやつらいなーって感じることは?

つらいことは何もないです。でもその子のためにどうしたらいいかな? というのは正解があるわけではないので毎日考え続けてます。

私はどちらかというと療育的なアプローチをしがちですが、保育経験が豊かなスタッフとチームで保育を行うことで、その子が「やってみたい」と思うことや、何を「楽しい」と感じるのか?を大切にするように心がけています。

障害児に関わる仕事がしたいと思ったのは、なにかきっかけがあったのですか?

小学校の時、家族ぐるみでおつきあいをしていた幼馴染の家族に肢体不自由児の子どもがいたんです。よくその子のお世話をしていたのですが、障害児に関わることは私に向いているかなと感じるようになりました。仕事を考えた時に、自然と。

障害児と関わることに惹かれた理由は?

障害児のある子はそれぞれペースが違い、デコボコもあるのですが、それって私たちもおんなじですよね。子どもたちと関わっていると毎日が発見の連続ですが、そんな風に人は毎日変化し成長するんだと気づかされるからかなと思います。

たとえば、重症心身障害児などは一般の方からすると「何も反応のない子」に見えるかもしれません。でも、一年くらいずっと接していると表情や発声で「快・不快」を応えられるようになり、自分の気持ちを伝えようとしていることが私達もわかるようになります。できなかったことができるようになる、変化が本当に嬉しいです。

ヘレンで実現していきたいことは、どんなことでしょうか?

ヘレンを卒園したあとは、それぞれ小学校の特別学級、特別支援学校、普通学校と様々な進路を歩むと思いますが、就学前までに「自分のコミュニケーション手段を身につけて、それを表出する力をつけてほしい」という目標をたてて関わっています。

そのために、ヘレンで家族以外のたくさんの人と関わる経験を通して、お友達や周りの人を信頼できる安心感を育てていきたいです。

ヘレンのスタッフは、子どもたちの今だけじゃなくその後の人生のベースづくりに立ち会っているんですね。

子どもたちは将来、いつかは親や家族と離れて一人立ちする時がきます。そんなときに、自信をもって周囲にいる人に自分の気持ちを伝えられる大人になってほしいです。ヘレンはそのための大切な第一歩、いっぱい成功体験のチャンスをつくってあげたいです。

熱い想いがお子さんや保護者の皆さんにも伝わっているでしょうね。最後に、そんなもも先生のプライベートはどんな感じなんですか?

100円ショップに行くのが至福の時間です。

(笑)なんでなんで?

ヘレンの子ども達は既成品のおもちゃで遊べる子が少ないでしょう。なので、スタッフがその子の個性や発達にあったおもちゃを手作りすることが多いのですが、子どもたちの喜ぶ顔を思い浮かべて、「あ!この材料でこんな遊びができるかな」「これであんなおもちゃを作ってみよう」なんて考えてる時が一番しあわせです。

もも先生、まさに天職!これからも障害児保育のゼロイチを最前線でつくっていってくださいね。

関連する対談・インタビュー